毎月の学習内容

2019年10月18日『万葉集』に親しむ 【もみじは何色?】

台風19号の被害を受けられた方がたに、謹んでお見舞い申し上げます。千曲川でも大きな被害がでました
それで最初の岡本先生の御話は「千曲川のさざれ石の万葉歌」です。
【信濃なる 千曲の川の さざれ石も 君し踏みてば 玉と拾はむ】恋人の踏んだ小石を「玉だわ」といっている千曲乙女の純情歌の紹介です。犬養先生は『万葉のこころ』で老夫婦が鹿の屋飛行場の特攻隊に出た長男が踏んだかもしれない小石を拾ってきて涙ながらに見ている逸話と共に「小石を珠にできるのも人間の心の深さだ」と書かれています。
もみじの万葉歌は、88首あり紅葉は4首、黄葉は84首で『もみち』と歌われています。『時雨彩色』と『春秋競憐歌』で黄色のもみちと4首の紅葉の万葉集の楽しい解説と10月のカレンダー「からあゐ(けいとうい)」の歌の説明でした。

妹がりと 馬に鞍置きて 生駒山うち越え来れば 紅葉散りつつ 
(妹許跡  馬鞍置而  射駒山  撃越来者  紅葉散筒)
万葉集 巻10-2201
作者未詳
生駒市総合公園内
揮毫 犬養先生

2019年9月20日『万葉集』に親しむ 【万葉の月】

カレンダーの歌、8月は「かほばな」(ひるがお)と9月「くず」です。「かほばな」は、万葉仮名で「容花」で家持が妻である坂上大嬢を愛しく思い比喩した花で、万葉仮名で読むと本当にピッタリという表現です。
万葉集には、月が約130首ほど歌われており、万葉人は月読(つくよみ)の光に合わせ「月読の 光に来ませ あしひきの 山越えたずね 遠からなくに-巻4/670」と湯原王が読むと「月読の 光は清く 照らせれど 惑(まと)ふ情(こころ)に 思ひあえなくに-巻/671」と娘が惑う心を月の光に応えて歌っています。
月の光は、今は月見団子の時しか、なかなか感じませんが、今一度、味わってみたいものです。
下に月を味わって頂く為に、岡本先生の資料をベースに、その他の資料を参照してが月齢一覧を作成しました
月は私たちの祖先にとって大切な存在であり、電気も無い時代、明るく照らしてくれる月は恋人達の逢瀬に欠かせないものだったのです。月の出は、毎日遅くなります。 十六夜(いざよい)の月は山の端にいざよい、十七夜(立待月(たちまちづき))は立ち待つほどに出てきます。 十八夜(居待月(いまちづき))は座し居て待ち、十九夜(臥待月(ふしまちづき))は臥して待ち、二十日(更待月(ふけまちづき))には夜半近くと遅くなります。
満月と十六夜の写真は、令和元年の9月14日と15日に枚方で撮影したものです。三日月も昨年撮影。

2019年7月19日『万葉集』に親しむ 【万葉人の死生観】

カレンダーの歌、6月は「さのかた」(あけび)と7月「わすれぐさ」(藪萱草)です。忘れ草は、旅人と家持が、忘れない想いを込めて和歌にしています。
「狭岑島挽歌」は、柿本人麻呂が瀬戸内の讃岐国の島で、亡くなった見知らぬ人への挽歌で長歌と反歌2首で構成されています。瀬戸内の海の自然と、亡くなった人への慈しみと無常の死者への挽歌を歌っています。
次は、十市皇女(とおちのひめみこ)への挽歌でず。十市皇女は、壬申の乱で敗れ自死した大友皇子の妻で、十市皇女も謎の死を迎えます。この死を嘆いて、壬申の乱で大友皇子軍を滅ぼした高市皇子が詠った大和歌3首が万葉集にあります。高市皇子は、十市皇女を慕っていたと言われています。
万葉びとの死生観は、殯(もがり)・葬(はくり)の2段階が有り、人が死ぬと直ぐに埋葬せず殯という儀礼をおこない、霊魂を呼び戻します。戻ってこなければ死と確定し葬を行い埋葬します。
*下の写真は、①は、この七夕に役員で交野の七夕祭りに行った時、②は、秋のウオーキング候補案の一つ奈良に編集人が佐保川沿いの犬養先生の歌碑を訪ねた時に忘れ草が見事に咲いていました(残念ながら忘れ草の和歌では有りませんでした)③は、7月の犬養万葉記念館の山清水の歌碑で、百日紅が映えています。

①逢合橋 七夕祭り ②忘れ草(薮萱草) ③百日紅(サルスベリ)
交野 逢合橋
『彦星と 織女(たなばたつめ)と 
今夜逢う 天の川門(かわと)に 
波立つなゆめ』巻10-2040 
岡本三千代書 作者未詳
奈良 法蓮町 緑地公園内
『うちのぼる 佐保の川原の
青柳は 今は春べと なりにけるかも』犬養孝書
巻8-1433 大伴坂上郎女
犬養万葉記念館
『山吹の 立ちよそいたる 山清水
汲みに行かめど 道の知らなくに』
犬養孝書
巻2-158 高市皇子

2019年5月17日『万葉集』に親しむ 【あふちの花】

今月のカレンダーの歌=「ほほがしは(保宝葉)」 、恵行と家持が蓋(きぬがさ)や酒杯に例えた歌です。
先ずは飛鳥時代の元号や、元号の歴史や仕組み・成り立ちについて勉強しました(今、犬養万葉記念館で明日香時代の元号が掲示されています:書 鈴木 葩光)。645年の大化が初めての元号です。古来から元号名は、霊的な力(言霊)を託して付けられ、令和は「麗しい和」と中西進先生が言われています。
今月のメインテーマは、万葉集第五巻793-799。大伴旅人と山上憶良の雑歌です。
旅人が妻を亡くし、更に親族の凶報を聞き、歌った大和歌。
旅人が、断腸の悲哀を感じながら歌ったのが「世の中は 空(むな)しきものと知る時し いよよますます かなしかりけり」(巻5-793)。
それを受けて山上憶良が、旅人の妻の百ヶ日に、序文(漢文)と長歌、反歌5首を、上司である旅人の妻が亡くなった事を自らのように嘆いた歌を捧げています。
その長歌が「日本挽歌」です(大和言葉で書いた挽歌)。その長歌の前に書かれている序文(漢文)も歌を理解する上で大切だと知りました。
次の「あふちの花」は、妻が見た棟(あふち)の花が もう散ってしまった、私の涙がまだ乾くことが無いのにと歌っています。
最後に大宰府赴任中に妻を亡くした大伴旅人が、一人奈良に帰京する時、鞆の浦で一緒に妻と見た「むろの木」に託した歌の紹介です。
上記の「日本挽歌・あふちの花・むろの木」を万葉うたがたり会の歌で味わってください。(2017年5月犬養万葉記念館で撮影)
*スマホでYouTube再生する場合は、縦でなく横で再生してください。尚ダブルクリックすると全画面表示になります。あふちの花は枚方の穂谷川の富津橋(JR藤坂駅の東側)にも有ります。クリック下さ

日本挽歌(長歌) あふちの花
むろの木ワルツ 犬養万葉記念館 元号展示

2019年4月19日『万葉集』に親しむ 【新元号 令和:梅花の宴】

今月は、平成最後の勉強会で『令和』の新年号記念の講義です。
4月1日は、犬養先生の112回目の誕生日でした。この当日の話から今回講義はスタートです。
当日の岡本先生の様子は犬養万葉記念館のHPにアップされていますので見てください。
令和の新元号は大伴旅人の大宰府での梅花の宴の序文がベースです。
梅は「鳥梅(うばい)」と万葉仮名では書かれ、中国からの輸入植物です。大伴旅人は、60歳、聖武天皇の吉野行幸の時の歌が処女作(巻3-315.316)と遅咲きの歌人です。西海道(九州)の長官として左遷された大宰府で、妻を亡くし、幼い息子(10才)の家持を育てながら、山上憶良という盟友と共に「筑紫歌壇」を形成します。
天平2年正月13日に大宰府の旅人長官の邸宅で宴が開催され、この時に大宰府と九州各地の役人が梅を愛でて大和歌32首を作りました。その時の歌の序文(漢詩)の中の一節「初春令月 氣淑風和」が新元号に採用されました。
先生の解説をベースにして『新年号令和の万葉集』 のページを更新しましたので、ご覧下さい。
又、今年の犬養万葉記念館「若菜祭」で関西大学の村田右冨美教授「令和と万葉集」の記念講演に参加しましたので参考にアップしました。

2019年3月15日『万葉集』に親しむ 「越路の春」

2ケ月ぶりの岡本先生の講義です。2月は先生のインフルエンザの為、休講となりました。2ケ月ぶりです。
カレンダーの2月の歌は「つまま」(タブノキ)の話で、この大伴家持の歌が歌碑として安政の時代に高岡に建立されています。大和歌を歌碑として建てる文化は江戸時代に始まっているとの事。3月は「このてがしわ」のように本心が解らない人にはならないようにと歌っている歌です。
大伴家持は、越前の国守であった天平勝宝二年の三月一日に越中秀吟中十二首、桃の節句(上巳節会)に三首と越路の春を、梅や李、かたかご、燕や雁など託して歌っています。
それでは梅と李の歌二首です、写真は枚方山田池公園で撮影しました。

春の苑 くれなゐにほふ 桃の花 した照る道に 出で立つをとめ
 巻19-4139 大伴家持
春苑 紅尓保布 桃花 下照道尓 出立*嬬 (*は女+感)
わが園の 李の花か 庭に落りし はだれのいまだ 残りたるかも
 巻19-4140 大伴家持
吾園之 李花可 庭尓落 波太礼能未 遣在可母

2019年1月18日『万葉集』に親しむ 「新春」講書始め

スタートは、今年は新しい天皇陛下になられる節目の年なので、天皇と万葉集の勉強です。
神武天皇から今生天皇(平成)まで125代の天皇系図を振り返り、特に神武・景行・日本武尊・仁徳天皇・雄略・継体天皇の興味深いエピソードを教えて頂きました。
今年はイノシシ年なので、万葉集の猪の和歌3歌の紹介です。猪(しし)は、万葉仮名で、十六(4×4で{しし}16なので!万葉時代から九九は、広まっていました)で書かれていました。
カレンダーの歌は、榎(え)です。【吾が門の 榎の実もり食む 百千鳥 千鳥は来れど 君ぞ来まさぬ】沢山の鳥がやってくるのに、何故あなたは来ないの!と言う女心を歌っています。 
このカレンダーの写真は小懇田宮(推古天皇)で撮影されている事から、聖徳太子(推古天皇の長子)の挽歌(3-415)で、殯(もがり=日本の古代に行われていた葬儀儀礼)や推古天皇を中心とした歴史を教えて頂きました。
第2部でホームページの紹介をさせていただきました。教室終了後、初めて新年会を枚方かごの屋で開きました。全員の自己紹介や特技(万葉朗唱など)を披露し楽しい新年会でした。
(講義は、学級メンバー全員出席でした)

2018年12月21日『万葉集』に親しむ「万葉かるたで遊ぶ」

今月は、『いや重け吉事』の歌の紹介でスタートしました。大伴家持の新年の歌です。巻20-4516は新年の雪を詠っているのですが、元旦に良いことが重なるように、心から祈念した詩で、大伴家が置かれている環境(藤原家が台頭している)が、この歌を詠ませたのです。
カレンダーの歌は、「やまたづ」で衣通王(そとおりひめ)の禁断の恋を詠った相聞歌で、同じ母の元の兄妹の恋で結果は悲劇に終わります。
今月は、仁徳天皇の妃(磐姫皇后)の歌 四首の勉強です。仁徳天皇は聖帝ですが、女性関係も大変派手でした。仁徳天皇への愛情が溢れる歌を歌うのですが、それ以上に磐姫は、大変嫉妬深い人でしたので、磐姫の不在中に天皇が浮気した事(八田皇女と)を知り、山城の筒城宮に入り迎えも断わり、そのまま山城で没してしまいます。結果、磐姫の墓は仁徳天皇の堺の墓から遠い奈良にあります。この磐姫を偲んで堺の仁徳天皇陵の側に平成7年犬養先生揮毫の万葉歌碑が建立され、その後に更に四首全ての歌碑が建立されました。
 君が行き 日け長くなりぬ 山たづね 迎へか行かむ 待ちにか待たむ(万2-85)
 かくばかり 恋ひつつあらずは 高山の 岩根しねしまきて 死なましものを(万2-86)
 ありつつも 君をば待たむ うちなびく 我あが黒髪に 霜の置くまでに(万2-87)
 秋の田の 穂の上へに霧らふ 朝霞 いつへの方に 我が恋やまむ(万2-88)
最後は、犬養先生の作られた万葉かるたを楽しみました。
【注】編集人記述:磐姫の話は、万葉集だけでなく古事記と日本書記にも記述があり、日本書記では磐姫が難波宮に戻らず八田皇女が立后するのですが、古事記では、その後に続く記述の反乱の記事から磐姫が戻ったと推定できるとの事です。下の写真は2018年8月に、仁徳天皇陵に行った時に撮影しました。         犬養先生揮毫万葉歌碑 磐姫 万葉歌碑 5基

2018年11月16日『万葉集』に親しむ「有馬皇子」

まずはカレンダーの歌で、9月は「くそかずら=へくそがずら」・10月は「いちしの花=彼岸花」・11月は「つるばみ=くぬぎ」です。10月の歌は、ごますりの歌で忠実に宮使いしたいと詠う宴会で高宮王の歌です。宮使いも大変ですね!
今月の歌は『草枕の詩』で主人公は悲劇の皇子「有馬皇子」です。もう一人の悲劇の皇子は大津皇子です。
有馬皇子の命日は11月11日で19才で亡くなられています。お二人共に皇位継承の権力闘争の中で、陰謀に巻き込まれています。「家(いへ)にあれば 笥(け)に盛る飯(いひ)を 草枕 旅にしあれば 椎(しひ)の葉に盛る(万・巻2-142)」と「磐代(いはしろ)の 浜松が枝(え)を 引き結び 真幸(まさき)くあらば また還(かへ)り見む(万・巻2-141)」は、藤白の地で祈る有馬皇子の心情が切々と感じられます。中大兄皇子(後の天智天皇)が蘇我赤兄と仕掛けた罠に落ちた悲劇だったので、後世の天智天皇批判時代になると憶良等が追慕の情を挽歌にして詠っています。
*挽歌:死者をいたむ詩歌。中国では葬送の際,棺を載せた車を引 (挽) く者が歌った。『万葉集』では雑歌,相聞歌とともに三大部立の一つで,葬送だけでなく,広く人間の死に関する歌が収められています。
*三古湯(三古泉):、日本書記・風土記などに登場し、白浜温泉・道後温泉・有馬温泉で、特に有馬温泉は有馬皇子の父の孝徳天皇が愛用した温泉です。孝徳天皇は中大兄皇子と対立し、648年 中大兄皇子は天皇を難波に残して、皇極上皇や間人皇后(はしひとこうごう)を連れて飛鳥へ帰還します。失意の中で崩御されました。

2018年8月17日『万葉集』に親しむ「万葉故地の西の果て?」

最初は、テーマソングの『サンバ・DE・ツバキ』です。この歌は持統天皇紀伊行幸の時、秋に歌われたもので元歌(川上の つらつら椿…)を思い浮かべ、春を思い歌われています。「巨勢山のつらつら椿 つらつらに 見つつ偲はな 巨勢の春野を」。カレンダーの歌は、おほゐぐさ(ふとい)で上野(かみつけ=群馬県)の柿本人麻呂の歌で、実用的な草花もイキイキした歌にしています(巻10-3417)。9月24日は中秋の名月に因んだ歌5首の紹介です。一番気に入ったのが天上のファンタジーの歌「天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ-柿本人麻呂」です。(月の船とは三日月の事でしょうか?。このような印象を写真に出来たらと思ってしまいます-編集人)。
今月のテーマ『荒雄物語』で、9月22日に五島列島三井楽で開催される万葉フォーラム(岡本先生と万葉うたがたりも出演されます)に因んで、遣唐使が旅立った三井楽の万葉歌のお話です。主人公の荒雄は奈良時代の漁師。筑前(ちくぜん)(福岡県)の人。神亀(じんき)年間(724-729)友である老人の宗形部津麻呂(むなかたべの-つまろ)にかわって,対馬に防人の食糧をはこぶ船のかじ取りをし,暴風雨にあい遭難死した。これを悲しんで山上憶良又は妻子らがよんだ言われる歌10首が「万葉集」巻16におさめられている。志賀白水郎(=海人)10首については、➀10首の配列順は?②憶良作?③左注は誰が作ったのか?④成立時期?について35本の論文があるという。

2018年7月20日『万葉集』に親しむ「憶良の子等を思う歌」

今日は、土用の丑です。万葉集にも夏痩せにはウナギが良いという歌が大伴家持にあります。「石磨(いしまろ)に われ物申す 夏痩に 良しといふ物そ 鰻(むなぎ)取り食(め)せ」、次の句は「痩(や)す痩すも 生けらばあらむを はたやはた 鰻(むなぎ)を漁(と)ると 川に流るな」(もっと元気になろうと思って、鰻を取りに行って、川に流されてはイケないよ)と戯れ歌で締めています。本当にユーモアがありますね!
カレンダーの歌は、めはじき(万葉では土針)です。母が娘に心からすばらしいと思わない人には行かなくて良いよと歌っています=この表現を衣(きぬ)に摺(す)らゆな:染まらなくて良いよ=と:素晴らしい表現ですね。『オクラホマ・ララバイ』は、憶良が子等を思った題詞と長歌・反歌のお話です。釈迦の子供(羅睺羅=らごら)に譬えの題詞が付けられています。憶良が九州の嘉摩(かま)三部作の一部で、老年に入った憶良が自分の人生を思い歌った歌です。憶良は帰化人であったといわれており55歳から役人になりました。「銀も 黄金も 玉も 何せむに 勝れる宝 子にしかめやも」
後半は『鶴なき渡る』です。仲が良い鳥なので万葉集では46首も歌われています。10月に行く和歌浦の聖武天皇の行幸の時に山部赤人の長歌と反歌2種に、鶴(たず)の有名な歌があります。「若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る」。10月現地で、この歌が書かれている犬養先生の玉津島神社の歌碑で岡本先生の語り部が楽しみです。

2018年6月15日 『万葉集』に親しむ 「あかねさす紫の花」

今月は季節の花『花言葉 紫陽花』でスタート。あぢさゐの歌は万葉集で2首有り花に寄せた万葉人の恋へのうつろいやすさが歌われています。万葉集に登場する天皇系図も勉強しました。21代の雄略天皇(456-79)からの歌から始まりますが、主は34代 舒明天皇(629-41)から47代 淳仁天皇(758-64)に渡る歌集です。
次は先月の近江万葉ウィークのおさらいです。柿本人麻呂の長歌で持統天皇にささげたもので持統天皇の父:天智天皇が都として造営した大津京の廃墟を詠ったもので、柿本人麻呂の最初の歌と言われています(近江万葉歌碑②)。反歌の近江万葉歌碑⑫高市黒人の同じく廃都を詠った近江万葉歌碑⑧
後半は『つれなき作りの歌』です。初めは額田王と大海人皇子(後の天武天皇)が蒲生野(かまふの)に於いての薬狩りの行事で端午の節句(今の歴では6月18日です)に歌われた二首で戯言の和歌とも言われています。近江万葉歌碑➀-1、2.紫草は、白い小さな花を咲かせ根は紫で薬用に用いれらます(紫草の説明URL)。次の二首は大津皇子と石川郎女の詩です。
「あしひきの 山のしづくに 妹待つと 我れ立ち濡れぬ 山のしづくに 万葉集巻2・107」(君をずっと待っていて、山のしずくにびしょ濡れになってしまって)と大津が歌うと、「我を待つと 君が濡れけむ あしひきの 山のしづくに ならましものを 万葉集巻2・108」(山の雫になって、あなたを濡らしたい)と石川郎女が答えるのです。(こんなに大津のことを思っているのに、何故石川郎女郎女が会いに行けなかったのか 編集人は疑問に思ってしまうのですが、皆様はどうお思いですか?)
『つれなき作りの歌』をクリックすると万葉うたがたり会のYouTubeが再生されます。近江万葉歌碑もクリックすると、近江万葉歌碑ウオークのページに行きます。

2018年4月20日 『万葉集』に親しむ 「妻争い」

今年は、犬養先生の誕生111年と没後20年になります。4月のカレンダーは「こけ」で11首あり、苔は万葉仮名では【蘿】と書かれています。妻争いの最初は大和三山で中大兄皇子の長歌と反歌(巻1-13.14.15)で男と女の三角関係の歌です。長歌の万葉仮名「雄男志等=おおしと」の解釈で、(男性2人が女性1人を争う)か(女性2人が男性1人を争う)との異なる解釈となります大和三山(香久山・畝傍山・耳成山)の争いは播磨風土記にも記載されて出雲の神様が印南に留まったと伝わっています。巻1-15の歌は「わたつみの 豊旗雲に 入日さし 今夜の月夜 さやけかりこそ」で、反歌らしくないが旧書に書かれていたので載せているとの注がついています。他の妻争いの歌は、想われた娘が悩みの末に自ら命を絶つ事で決着するという悲しい大和歌で桜児伝説・縵児(かずらこ)伝説の歌を学びました。縵児伝説には耳無しの池の歌もあり耳成山の麓に万葉歌碑が設置されています。他に葛飾の真間の手児名(てごな)伝説、葦屋(=芦屋)の菟原処女(うないおとめ)伝説(*)があります。*処女塚古墳は、近くに神戸酒心館が有りお出かけにも最適です。下の写真は、この4月に三輪大社に出かけた時に撮影した大和三山です(大美和の杜展望台)と2016年11月撮影耳成山の万葉歌碑です。

2018年3月16日勉強内容 万葉集に親しむ『家持と春の花』

最初に先月行かれた浜松市の万葉の森公園の紹介がありました。3月の花は「あかね」で、柿本人麻呂歌集の旋頭歌で、あかねさしという語句が枕詞で出てきています。あかねは、非常に鮮やかな色で万葉の時代の代表的な色です。『春つれづれ』の歌は「紫草の 根延う横野の 春野には 君を懸けつつ 鶯鳴くも」の犬養孝揮毫万葉歌碑が、生野区巽にあり除幕式に犬養先生と岡本さん2人で行った時に作られた想い出ある歌という。2018年3月31日に、その万葉歌碑に行きましたので、下記にデータとしてアップしました。画像をクリックするとダウンロードできます。
万葉集の時代区分を学びました。明日香時代:第1期初期(645~672壬申の乱)第2期白鳳(~702持統崩御)、奈良時代:第3期平城(~729)第4期天平(~759)の歌風・歌びとを学びました。尚、第1期の歌は伝承時代の古代歌謡も含まれています。第1期の額田王は江戸時代までは男性と言われていました。
『家持爛漫』は、越中秀吟12首の内2首が含まれています。この越中秀吟12首で、桃・李・柳・かたかご・鴫・雁・千鳥・雉・射水川が繊細に歌われています。特に堅香子は、気まぐれな花で若い女性に例えられています(曇りは咲かず、日光が良くあたる日中にシャキッと咲きます)。最後は椿の歌の紹介で春の花の講義終了。今日の講義の花を集めました;椿の裏根絞り?は、富田さんが当日の講義に提供していただいた花です。(初春の花;梅も追加しました) ☆家持の歌473首と万葉集の一割を占めています。

2018年2月16日勉強内容 万葉集に親しむ『もうすぐ春』

今月のテーマは「もうすぐ春」です。まずは皆で「早春賦」を合唱しました。中田晃さんの作曲で、息子は中田喜直さんで、春の歌だけはお父さんに負けたとの事。万葉集は、『もうすぐ春』で志貴皇子と大伴坂上郎女の和歌の紹介です。志貴皇子の歌は、まさに春を感じさせる歌です。次の万葉集はバレンタインデーに因んで『恋歌』です。この恋歌に入っている五つの和歌は、里中満智子さんと岡本さんの対談の中で、里中さんが選んだものだそうです。1番目の和歌は、同時代では大伴坂上郎女とならび称される女性歌人の笠野女(かさのいらつめ)が大友家持に送った歌で、彼女の歌は29首もありますが、家持は一つも返歌しなかったとか!。次も恋の歌で、巻13の3280~3283の長歌と反歌で、万葉では、夢は(いめ)と読み、相手が思っているので私の夢に出てくるというポジティブな意味で使われたとの事です。☆少し勉強した事 ;左の方が右の方が格が上で 左京に住む方が上流階級です。

2018年1月19日勉強内容 万葉集に親しむ-『新年を寿ぐ』

・今月のテーマは【新年を寿ぐ】です。寿ぐとは【言祝ぐ】で、言葉によって祝す、言葉の力・魂=言霊(ことだま)=によって良い事が実現することです。この言霊という言葉が、万葉集の柿本人麻呂歌集にでています。『言霊の幸ふ国へ』―磯城島の 大和の国は 言霊の助くる国ぞ ま幸くありこそーで日本の魂を歌った歌です。言葉のある物 全てに命があり、大切にしなければいけないと感じました。
・1月の歌は、「ほよ」です。ほよは宿木で、ほよを頭に飾ると長生きするよと謡った大伴家持の歌の紹介です。「あしひきの 山の木末の ほよ取りて かざしつらくは 千歳寿くこそ」

 

 

 


・小倉百人一首(藤原定家=鎌倉時代小倉山荘で選んだ)と万葉集の紹介です。
百人一首と万葉集では、同じ歌でも歌の表現が違うものがあり、歌い継がれていくなかで違うようになっていったようです。
山部赤人の歌
百人一首 田子の浦に うち出でて見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪はふりつつ
万葉集  田子の浦ゆ   々     ま白にそ  々    雪は降りける
・今年の干支 犬の万葉歌の紹介(旋頭歌と長歌の2歌に犬が出ています)
・正月にふさわしい『鶴鳴き渡る』山部赤人(歌聖・抒景歌人)が聖武天皇行幸の時に読んだ歌で(若ノ浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る)で和歌浦の情景が絵に書かれたように描かれている。因みに犬養先生は山部赤人ことを芸術院会員と評されておられます。
※管理人の一言:この山部赤人を聞いて、学生時代 和歌浦に葦辺寮という元旅館をそのままにした大きな学生寮がありました。友人たちが住んでいたので、良く遊びに行き、宴会(闇鍋)をし、その後、近くの片男波や秋葉山、東照宮に行った想い出が、走馬燈のように浮かびます。和歌の浦・片男波・葦辺という地名が言霊のように響きます。

☆少し勉強したこと
万葉集(萬葉集:マンヨウシュウ)は、古代では【マニエフシフ】と呼ばれていた。つい最近までは【マンニョウシュウ】とも呼ばれていた。万葉集の意味は、万代に末永く伝えられるべき歌集という。又、現代日本語の母音は5つだが、イ段の「キ、ミ、ヒ」、エ段の「ケ、メ、ヘ」、オ段の「コ、ソ、ト、ノ、モ、ヨ、ロ」にあたる各音が2種類に書き分けれれていたことが知られている。「8母音説」(岡本先生のお話から、興味がありネットで調べて少し補足しました)

2017年12月15日勉強内容 万葉集に親しむ『2017年しめくくり』

今月は、最初に12月のカレンダーの花-さなかずら-の万葉歌の紹介です。「あしひきの 山さな葛 もみつまで 妹に逢わずや わが恋居らむ」ーさなかずらが、ゆっくりと黄葉(もみ)つまで あなたに逢えないなのだろうか こんなに恋したっているのにー(巻10‐2296作者未詳)。万葉時代は、秋の深まりとともに葉の色が変わっていく事を【黄葉つ(もみつ)】という動詞で表現していた。そこから万葉では名詞は黄葉(もみち)で、紅葉のイロハモミジ(カエデ、かへるで:蝦手)と表現されていた。
次に『いや重け吉事』です。「新しき(あらたしき) 年の初めの 初春の 今日降る雪の いや重け吉事」(因幡国庁731年元旦)の紹介です。雪=白い=吉兆を詠んだ万葉集の大伴家持・最後の歌(巻20‐4516)と因幡国庁跡と宇倍神社の紹介です。因みに宇倍神社の麒麟獅子はキリンビールのモチーフになっています(参考:この宇倍神社は、昔の紙幣に拝殿と武内宿禰命像が図柄になったので、商売繁盛・金運上昇の神として有名です)。
後は、年賀状用の歌と来年の干支 犬の歌 2首の説明があり、「かげろひ」に因んだ『阿騎野寒暁』の和歌説明です。旧暦の11月17日に奈良宇陀でかげろひを見る会が毎年開催されています。かげろひが見れるのは、夜明け前で-5°以下の放射冷却時に東の地平線近くの空が朱色にそまります。且つ振り向けば月がかたぶいて見れるという稀有の状況ですが歌われた和歌が以下です。
「東(ひんがし)の 野にかげろひの 立つみえて かえりしみれば 月かたぶきぬ」(柿本人麻呂 巻1‐48)この読み方は江戸時代の賀茂真淵が解釈したものです。軽皇子(後の文武天皇)が安騎野に狩りに行った時に柿本人麻呂が歌った長歌と短歌(巻1-45~49)で構成されています。今年は2018年は1月3日にかげろひの会があります。
参考:因幡 宇倍神社の情報です。http://www.ubejinja.or.jp/new-about/


2017年11月17日 万葉うたがたりコンサート『万葉の秋を歌う』

交野が原万葉学級の例会として、万葉の古代衣裳を纏った岡本先生と上 未歩(交野が原万葉学級の仲間)さん、園田知子さんによるライブ講座で生歌を堪能しました。築百年の古民家で素敵な雰囲気と素晴らしい音響のムーザサロン オーナーの片山ふえさんと、美味しいお菓子を提供いただいた阿部さんには、大変おせわになり、感謝申し上げます。
『   』をクリックすると曲が聞けます。
1)最初の歌は、『秋の歌メドレー』(唱歌と先月学級で勉強した山上憶良の秋の七草の歌) 
2)秋バージョンの『花ごよみ』
3)山部赤人の明日香讃歌 『明日香春秋』
4)額田王の春と秋どちらが良いかを歌った
  『春秋競憐歌(春秋シャンソン)』
5)平城の都の秋を歌った『時雨彩色』
6)鏡女王と額田王 姉妹が歌う秋の恋歌
  『風音』岡本先生の解説付
  『風音』歌のみ版
7)最後にいつもの『サンバDEツバキ』














2017年10月20日勉強内容 万葉集に親しむ-『秋の夜長…』

今月は、9月22日の郊外学習(明日香の彼岸花と万葉歌碑巡り)のオサライと秋の花についてのお話です。最初は山上憶良の秋の七草の歌の紹介でした。万葉集では、萩が141首も歌われ人気の花でした。七草は萩、尾花(ススキ、稲等)、葛、撫子、女郎花、藤袴、朝貌(アサガオ‐桔梗)です。この歌は旋頭歌(5、7、7の句の繰り返し)です。この歌の万葉がなで書かれている原文です。
山上臣憶良詠秋野花歌二首
 秋野尓 咲有花乎 指折 可伎數者 七種花【其一】
 芽之花 乎花葛花 瞿麦之花 姫部志 又藤袴 朝貌之花「其二」
郊外学習で満開の彼岸花は、万葉集では『いちひの花』と呼ばれ一首のみ歌われています‐道の辺の いちひの花の いちしろく 人皆知りぬ 我が恋妻は‐。
郊外学習で訪れた飛鳥寺の万葉歌碑(佐々木信綱揮毫)は、『明日香春秋』で歌われている山部赤人の長歌です。山部赤人の歌は、対句で構成されており、芸術院会員のような完成された歌が多い。『フルフル雪』も、大原神社の歌碑で天武天皇と妻の藤原夫人の雪をめぐる戯れあい歌です。『宮廷讃歌』は、飛鳥坐神社の歌碑で大君を神と讃えた歌です。『明日香風』は、甘樫丘の犬養孝揮毫万葉歌碑1号で志貴皇子の歌です。最後に今月末から行われる正倉院展の紹介がありました。フジバカマも 掲示板 に載せています


2017年7月21日勉強内容 万葉集に親しむ‐『夜空のファンタジー』

7月は、七夕に因んで交野が原の歌碑マップの紹介から始まりました。
交野と枚方に流れる天の川を中心に歌碑が点在している。別ページの天の川流域歌碑マップ を参照ください(ここをクリックすると、マップにジャンプします)。『逢合橋』の歌に載せて3首の和歌説明(逢合橋の歌碑の歌と大友家持の百人一首‐かささぎの わたせる橋に おく霜の しろきをみれば 夜ぞふけにける‐の話があり、かささぎは中国ではキューピットの役割があるとの事)と『夏の夜の夢』では月人壮人(つきひとおとこ;月の中に居て桂の樹を伐るといふ想像の男)という造語が含まれている和歌等が、万葉人が素晴らしい感性で天空を歌ったかを感じさせてくれました。また、七夕は旧暦では立秋以降の行事という事を理解して万葉歌を読む必要がある事がわかりました。
7月の歌は、やまゆりです。巻20-4369は東北の訛りで書かれている(さ百合=さゆる)恋の歌ですが、同じ防人(千文)が歌った次の歌、巻20‐4370は太平洋戦争時には万葉集で良く歌われた勇壮な歌です。『あられ降り 鹿島の神を 祈りつつ 皇御軍卒(すめらみくさ)に 我は来にしを』-しかし、この勇ましい歌の前には、恋しい妻を歌った和歌『筑波嶺の さ百合の花の 夜床(ゆどこ)にも かなしき妹そ 昼もかなしけ』が歌われています。
『ムーンライトセレナーデ』では、月の光に寄せた万葉人の4首の歌の紹介、湯原王の和歌4首では、月を思う万葉歌が紹介されました。(万葉集では、160首ほど月が歌われています)
 
紹介事項;川原寺 写経が始まった寺(日本書記)-この7月から写経体験が出来ます。http://asukamura.com/?page_id=10133
この天智天皇の母、斉明天皇の為に建てられた寺です。豪雨災害があった朝倉が斉明天皇がなくなれた場所で7月に亡くなられたという。
少し勉強した事:あられ降り=かしましい(=けたたましい)から鹿島の枕詞となっている。

2017年6月16日勉強内容 万葉集に親しむ『ジューンブライド♡』

6月は、六月の花嫁(ジューンブライド)の話です。
先ずは六月の花(はちす=蓮)の戯れ歌の紹介16-3835※がありました。次に嫁いでいく娘に送る父の歌『娘に』4-532・1-22・9-1791や、犬養孝先生が結婚式で披露された『祝婚歌』13-3314・3317について学びました。この祝婚歌は、夫が長い道を歩いて宮使い行っているのに、他の主人は馬で行っている。私(妻)は母の形見を売り馬を買いたいと歌うが(まるで山内一豊の妻・千代)、夫は私だけが馬に乗る訳にはいかない、2人で石は踏むとも一緒に行こうと歌う夫婦の純愛の問答歌です。結婚式のお祝いにピッタリです。同じ巻13の問答歌で『あざさの花』13-3295・3296の紹介がありました。この歌は三宅(=屯倉からきた)町の花になっています。(あざさ=学名はあさざ)
※16-3835は万葉集の巻16-3835の意味です。又『』は万葉うたがたりの歌名です。
☆少し勉強した事
 巻16の特徴:ユニークな巻でナンセンスソング、土用の丑の歌等が多く含まれています。
 巻13の特徴:長歌+反歌で構成されています。
 母のまくら言葉:たらちね=垂乳根と子を産んだ特徴を枕詞にしている。
   例(たらちねの母が形見と…)

2017年5月19日勉強内容(万葉集に親しむ『母の日に寄せて』)

5月は、くろんど緑地のかたがごの花、ラクウショウ(落羽松)の話からスタートし、越前 味真野の35周年万葉まつりに招かれた事の紹介がありました。
(その時のコンサートの様子は、万葉うたがたり会YouTubeのページを参照ください)
5月の歌(ちさ)と 『あふちの花』の紹介。
母の日にちなみ、まず子供は宝の歌【山上憶良:銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに 優れる宝 子にしかめやも】と、父母を思い歌った防人の5首『父母草;おやこぐさと読みます:万葉うたがたり会YouTubeのページにあります』の紹介。防人の歌は84首(巻20)有ります。又、万葉集には母の歌は88首ですが、父の歌は、たった1首のみです(通い婚の影響)。
次にあざさの花の長歌(奈良県三宅町の花)と徳島県眉山にちなんだ映画(さだまさし原作)から作った短歌6首『母の歌』の紹介がありました。
最後に万葉集についての説明がありました(万葉集は万葉仮名で書かれているので、解釈等で最近も研究されている古いけれども、新しい等)。
 万葉仮名で書かれた大和歌(短歌・長歌)の歌集
 一番短い万葉仮名の歌;10文字です。
【歌】(万葉仮名)
 春楊(はるやなぎ)
 葛山(かづらきやまに)
 発雲(たつくもの)
 立座(たちてもゐても)
 妹思(いもをしそおもふ)
  巻11・2453  作者は柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)歌集より
最後に山上憶良と防人の歌を犬養節で学級全員で朗誦しました。
(ここををクリックしてください;朗唱が聞けます)
☆少し勉強した事
1.崎守(新羅・唐に備えて岬を守る)→防人に変化
2.とうとうみ(遠江)大井川と浜名湖の間⇔おうみ(近江)琵琶湖地方

2017年4月21日勉強内容 万葉集に親しむ『明日香へ行こう』

4月は、万葉の原点である明日香村の紹介と村にある万葉歌碑の勉強でした。
明日香の万葉歌碑MAPを参考に①石舞台古墳(蘇我馬子の墓と言われている)、②飛鳥寺(蘇我氏の氏寺、飛鳥大仏)の万葉歌碑―佐々木信綱の歌碑;山部赤人の長歌(明日香春秋)③大官大寺、川原寺(跡)、橘寺―明日香4大寺、④槻ノ木広場(645年の乙巳の変いっしのへんの立役者の中臣鎌足が盟主とあおぐ中大兄皇子と初めて知り合った場所)―蘇我入鹿の首塚もある、⑤犬養万葉記念館(万葉歌碑 山吹の歌 高市皇子の晩歌:犬養孝揮毫『山吹の 立ちよそひたる 山清水 汲みに行かめど 道の知らなく』)、⑤キトラ古墳(高市皇子の墓?)⑥雷丘(いかずちのおか)宮廷賛歌の和歌の話でした。
参考情報;昭和30年に、3村(阪合村、高市村、飛鳥村)が統合し明日香村になりました。新しい村名の明日香村の名付け親が犬養孝先生でした。
下に犬養先生揮毫の明日香の万葉歌碑MAP(犬養万葉記念館発行)があります。