2019年度

2019年4月19日『万葉集』に親しむ 【新元号 令和:梅花の宴】

今月は、平成最後の勉強会で『令和』の新年号記念の講義です。
4月1日は、犬養先生の112回目の誕生日でした。この当日の話から今回講義はスタートです。
当日の岡本先生の様子は犬養万葉記念館のHPにアップされていますので見てください。
令和の新元号は大伴旅人の大宰府での梅花の宴の序文がベースです。
梅は「鳥梅(うばい)」と万葉仮名では書かれ、中国からの輸入植物です。大伴旅人は、60歳、聖武天皇の吉野行幸の時の歌が処女作(巻3-315.316)と遅咲きの歌人です。西海道(九州)の長官として左遷された大宰府で、妻を亡くし、幼い息子(10才)の家持を育てながら、山上憶良という盟友と共に「筑紫歌壇」を形成します。
天平2年正月13日に大宰府の旅人長官の邸宅で宴が開催され、この時に大宰府と九州各地の役人が梅を愛でて大和歌32首を作りました。その時の歌の序文(漢詩)の中の一節「初春令月 氣淑風和」が新元号に採用されました。
先生の解説をベースにして『新年号令和の万葉集』 のページを更新しましたので、ご覧下さい。
又、今年の犬養万葉記念館「若菜祭」で関西大学の村田右冨美教授「令和と万葉集」の記念講演に参加しましたので参考にアップしました。

2019年5月17日『万葉集』に親しむ 【あふちの花】

今月のカレンダーの歌=「ほほがしは(保宝葉)」 、恵行と家持が蓋(きぬがさ)や酒杯に例えた歌です。
先ずは飛鳥時代の元号や、元号の歴史や仕組み・成り立ちについて勉強しました(今、犬養万葉記念館で明日香時代の元号が掲示されています:書 鈴木 葩光)。645年の大化が初めての元号です。古来から元号名は、霊的な力(言霊)を託して付けられ、令和は「麗しい和」と中西進先生が言われています。
今月のメインテーマは、万葉集第五巻793-799。大伴旅人と山上憶良の雑歌です。
旅人が妻を亡くし、更に親族の凶報を聞き、歌った大和歌。
旅人が、断腸の悲哀を感じながら歌ったのが「世の中は 空(むな)しきものと知る時し いよよますます かなしかりけり」(巻5-793)。
それを受けて山上憶良が、旅人の妻の百ヶ日に、序文(漢文)と長歌、反歌5首を、上司である旅人の妻が亡くなった事を自らのように嘆いた歌を捧げています。
その長歌が「日本挽歌」です(大和言葉で書いた挽歌)。その長歌の前に書かれている序文(漢文)も歌を理解する上で大切だと知りました。
次の「あふちの花」は、妻が見た棟(あふち)の花が もう散ってしまった、私の涙がまだ乾くことが無いのにと歌っています。
最後に大宰府赴任中に妻を亡くした大伴旅人が、一人奈良に帰京する時、鞆の浦で一緒に妻と見た「むろの木」に託した歌の紹介です。
上記の「日本挽歌・あふちの花・むろの木」を万葉うたがたり会の歌で味わってください。(2017年5月犬養万葉記念館で撮影)
*スマホでYouTube再生する場合は、縦でなく横で再生してください。尚ダブルクリックすると全画面表示になります。あふちの花は枚方の穂谷川の富津橋(JR藤坂駅の東側)にも有ります。クリック下さ

日本挽歌(長歌) あふちの花
むろの木ワルツ 犬養万葉記念館 元号展示

2019年7月19日『万葉集』に親しむ 【万葉人の死生観】

カレンダーの歌、6月は「さのかた」(あけび)と7月「わすれぐさ」(藪萱草)です。忘れ草は、旅人と家持が、忘れない想いを込めて和歌にしています。
「狭岑島挽歌」は、柿本人麻呂が瀬戸内の讃岐国の島で、亡くなった見知らぬ人への挽歌で長歌と反歌2首で構成されています。瀬戸内の海の自然と、亡くなった人への慈しみと無常の死者への挽歌を歌っています。
次は、十市皇女(とおちのひめみこ)への挽歌でず。十市皇女は、壬申の乱で敗れ自死した大友皇子の妻で、十市皇女も謎の死を迎えます。この死を嘆いて、壬申の乱で大友皇子軍を滅ぼした高市皇子が詠った大和歌3首が万葉集にあります。高市皇子は、十市皇女を慕っていたと言われています。
万葉びとの死生観は、殯(もがり)・葬(はくり)の2段階が有り、人が死ぬと直ぐに埋葬せず殯という儀礼をおこない、霊魂を呼び戻します。戻ってこなければ死と確定し葬を行い埋葬します。
*下の写真は、①は、この七夕に役員で交野の七夕祭りに行った時、②は、秋のウオーキング候補案の一つ奈良に編集人が佐保川沿いの犬養先生の歌碑を訪ねた時に忘れ草が見事に咲いていました(残念ながら忘れ草の和歌では有りませんでした)③は、7月の犬養万葉記念館の山清水の歌碑で、百日紅が映えています。

①逢合橋 七夕祭り ②忘れ草(薮萱草) ③百日紅(サルスベリ)
交野 逢合橋
『彦星と 織女(たなばたつめ)と 
今夜逢う 天の川門(かわと)に 
波立つなゆめ』巻10-2040 
岡本三千代書 作者未詳
奈良 法蓮町 緑地公園内
『うちのぼる 佐保の川原の
青柳は 今は春べと なりにけるかも』犬養孝書
巻8-1433 大伴坂上郎女
犬養万葉記念館
『山吹の 立ちよそいたる 山清水
汲みに行かめど 道の知らなくに』
犬養孝書
巻2-158 高市皇子

2019年9月20日『万葉集』に親しむ 【万葉の月】

カレンダーの歌、8月は「かほばな」(ひるがお)と9月「くず」です。「かほばな」は、万葉仮名で「容花」で家持が妻である坂上大嬢を愛しく思い比喩した花で、万葉仮名で読むと本当にピッタリという表現です。
万葉集には、月が約130首ほど歌われており、万葉人は月読(つくよみ)の光に合わせ「月読の 光に来ませ あしひきの 山越えたずね 遠からなくに-巻4/670」と湯原王が読むと「月読の 光は清く 照らせれど 惑(まと)ふ情(こころ)に 思ひあえなくに-巻/671」と娘が惑う心を月の光に応えて歌っています。
月の光は、今は月見団子の時しか、なかなか感じませんが、今一度、味わってみたいものです。
下に月を味わって頂く為に、岡本先生の資料をベースに、その他の資料を参照してが月齢一覧を作成しました
月は私たちの祖先にとって大切な存在であり、電気も無い時代、明るく照らしてくれる月は恋人達の逢瀬に欠かせないものだったのです。月の出は、毎日遅くなります。 十六夜(いざよい)の月は山の端にいざよい、十七夜(立待月(たちまちづき))は立ち待つほどに出てきます。 十八夜(居待月(いまちづき))は座し居て待ち、十九夜(臥待月(ふしまちづき))は臥して待ち、二十日(更待月(ふけまちづき))には夜半近くと遅くなります。
満月と十六夜の写真は、令和元年の9月14日と15日に枚方で撮影したものです。三日月も昨年撮影。

2019年10月18日『万葉集』に親しむ 【もみじは何色?】

台風19号の被害を受けられた方がたに、謹んでお見舞い申し上げます。千曲川でも大きな被害がでました。
それで最初の岡本先生の御話は「千曲川のさざれ石の万葉歌」です。
【信濃なる 千曲の川の さざれ石も 君し踏みてば 玉と拾はむ】恋人の踏んだ小石を「玉だわ」といっている千曲乙女の純情歌の紹介です。犬養先生は『万葉のこころ』で老夫婦が鹿の屋飛行場の特攻隊に出た長男が踏んだかもしれない小石を拾ってきて涙ながらに見ている逸話と共に「小石を珠にできるのも人間の心の深さだ」と書かれています。
もみじの万葉歌は、88首あり紅葉は4首、黄葉は84首で『もみち』と歌われています。『時雨彩色』と『春秋競憐歌』で黄色のもみちと4首の紅葉の万葉集の楽しい解説と10月のカレンダー「からあゐ(けいとうい)」の歌の説明でした。

妹がりと 馬に鞍置きて 生駒山うち越え来れば 紅葉散りつつ 
(妹許跡  馬鞍置而  射駒山  撃越来者  紅葉散筒)
万葉集 巻10-2201
作者未詳
生駒市総合公園内
揮毫 犬養先生

2019年12月20日『万葉集』に親しむ 【かぎろひって何だ?】

12月のカレンダーの万葉集の花は「ひかげ」(ひかげのかずら)です。家持が詠った背景を勉強しました。
「かぎろひ」は、マイナス5度以下の日の晴れわたった日の出1時間ほど前に現れる陽光です。
柿本人麻呂の万葉歌「ひむがしの 野にかぎろひの 立つみえて かへりみすれば 月かたぶきぬ」が詠まれたのは、軽皇子が宇陀の安騎野に狩りに来た時です。この時に亡き草壁皇子(軽皇子の父)も思いながら長歌も含めた歌を人麻呂が詠った事を知りました。
編集者の私は、今年初めて旧暦の11月17日(12月13日)に、古を偲び早朝「かぎろひ」の出現を参加者全員で待つイベントに参加させていただきました。コールドムーンの月が満々と『かぎろひの丘』を照らし、手が縮かむ程寒かったので期待したのですが、東の山の頂上が雲に覆われて残念ながら見れませんでした。岡本先生は平成8年に見れたそうです。来年は12月31日早朝です。下はイベントの様子です

かぎろひの丘 万葉歌碑 今年は柿本人麻呂が馬で登場 薪燃え盛る中[かぎろひ]を待つ
後が長歌、
前が[ひむがしの 野にかぎろひの 立つみえて かへりみすれば 月かたぶきぬ」の歌碑
コールドムーンが降り注ぐ中⋯ 見たかった「かぎろひ」

2020年1月17日『万葉集』に親しむ 【初春例月 気淑風和】

最初は犬養先生の昭和10年代の書簡が発見され朝日新聞に掲載された記事の紹介でした。先ずは新年として言挙げとしての『言霊の幸ふ国へ』の言葉によって良いことが起こる「言霊(ことだま)」の歌の紹介ー【磯城島の 大和の国は 言霊の 助くる国ぞ ま幸くありこそ】(柿本人麻呂)です。2020年は日本書記が成立して1300年で「記紀万葉プロジェクト」の仕上げの年です。
1月のカレンダーの歌万葉の花は「藻(梅花藻)水草」で『梅の花=鳥梅能波奈=メノハナ』と読みます。

次に小倉百人一首に取りあげられている万葉集の歌の違いと同時代の歌人を六首、勉強しました。
先生の講義後に私からホームページを通して2019年の交野が原万葉学級の歩みと、毛利代表から交野が原万葉学級の設立の経過を説明させて頂きました。(新年のお年玉=万葉うたがたりのCDプレセント抽選もありましたよ!)
学級終了後、枚方かごの屋で新年会で抽選会や自己紹介で盛り上がりました。

2020年2月21日『万葉集』に親しむ~二上エレジー

今月は「二上エレジー」で、大津皇子と姉の大伯皇女(おおくのひめみこ)の万葉歌がテーマです。
カレンダーの花も「あしび(あせび)」で、大伯皇女も弟を思い歌にしています。あしびの歌を10首勉強しました。あしび(馬酔木)は、日本固有種で花、葉、茎すべて有毒で殺虫剤として使用できると辞書にはありました。
大津皇子は天武天皇の死後直ぐに謀反の疑いをかけられ、24歳で自死します。二上山に日本書紀では葬られたと書かれています。伊勢の斎宮である姉が、弟を思って歌った大和歌は心をうちます。下に今回勉強した歌の写真を添付しておきます(以前、明日香村の記紀万葉フェスティバルで岡本先生から依頼されて作ったものです。

大津皇子 巻3-416 大津皇子 懐風藻
大伯皇女 巻2-165 大伯皇女 巻2-166