2021年度

『 万葉集に親しむ』~越中秀吟歌~ 2022年3月18日

スタートは、牽牛子塚古墳・越塚御門古墳の披露です。牽牛子塚古墳はアサガオ塚とも呼ばれ真弓にある古墳で、近年の調査で八角形である事と発掘物から斉明天皇と間人皇女の合葬陵である事が有力となり、中腹には日本書紀にも記述がある大田皇女の古墳(越塚御門古墳)も発見されました。明日香村プロジェクトとして世界遺産登録に向けて凝灰岩に葺石され真白な姿で再建され3月6日に一般公開されました。
カレンダーの3月の花は、つばき。テーマソング「サンバDEツバキ」の椿ですが、カレンダーの写真は香芝市の平野 谷田の言い伝えがある1本の「たんだ」の椿です。
大伴家持の略年表を元に勉強しました。『歌人としてのスタート 初月⁽みかづき)の歌(16才)、越中守(29才)に、因幡守として最後の新年の歌(42才)、68才の時に多賀城で亡くなっているが、その後に藤原種継暗殺事件が造営中の長岡京で発生、家持も関与していたとされて、追罰として、埋葬を許されず、官籍からも除名された。20年後に許され復位』。
今月のテーマは、越中秀吟歌(家持が越中最後の33才の時、巻19‐4139~4150 12首)です。
750年の旧暦3月1日の夜から3月3日(太陽暦では4月)の朝にかけて「春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ娘子」は春の艶やかな絵画のような短歌をはじめとして、春が待ち遠しい、春の憂いを感じたり、都への想いをよせた家持の心を、景色(射水川)や鳥(燕・雉・千鳥・雁・鴫)、花(桃・李・柳・堅香子)で詠っています。又、3月3日の桃の節句の時の宴会の3首も学びました。

香芝市 たんだの椿                        牽牛子塚古墳(3月6日)











『 万葉集に親しむ』~禁断の恋~ 2022年2月18日

最初は1月の【ゆづるは】の紹介でした。カレンダーの歌は三枝【さきくさ】。この歌は柿本人麻呂歌集の略体歌(詳しくはここをクリック)で、柿本人麻呂歌集には略体歌・非略体歌という分類がある事を勉強しました。
次は【さきくさ】の別の山上憶良の長歌で、古日という子を幼くして亡くした悲しみと次の世に無事に行けるようにとの切々と願う親心の哀歌です。山上憶良の経歴(遣唐使・筑紫歌壇)や歌(貧窮問答歌や荒尾物語り、子供への愛)の紹介があり、先生が大好きな歌人との事です。
後半は高市皇子の妻の但馬皇女と穂積皇子の禁断の恋歌。但馬皇女の恋を貫く歌「人言を 繁み言痛み 己が世に いまだ渡らぬ 朝川渡る」と穂積皇子の但馬皇女への挽歌「降る雪は あはりな降りそ 吉隠の 猪養の岡の 寒からまくに」などで、二人の恋の ものがたりを想い浮かべました。
                        ↓吉隠(よなばる)の冬景色(但馬皇女の墓があった)
            「ひどく降ってくれるなよ。猪養(いかい)の岡も寒かろうに(犬養先生訳)」









 

 

 

 


                富田さんの「ゆづるは」
               『いにしへに、恋ふる鳥かも 弓弦葉の 御井の上より 鳴き渡りゆく』弓削皇子
                      「ゆずりは=ゆづるは」について良いブログがありましたので
                       見てください。ココをクリック

『 万葉集に親しむ』~わが里に大雪降れり~ 2021年12月17日

最初は12月21日の宇陀の【かげろひ】の紹介があり、来年2月11日にも、現地で行事があるとの事です。
カレンダーの歌は、「かしは(かしわ)」です。播磨国主 安宿王(アスカベノオオキミ)で長屋王の長男です。父は長屋王の変で亡くなりますが、母が藤原系だったので罪を免れています。この関連で天武天皇系皇族系図と長屋王の紹介もありました(長屋王跡の木簡:氷室の氷で酒を飲んでいた)
メインテーマの「わが里に大雪降れり(フルフル雪)」は、天武天皇と藤原夫人のユーモアの溢れる万葉歌です。
ここでは天武天皇系図を用いて大宝・養老律令での天皇の配偶者が10人(皇后1人・妃2人・夫人3人・嬪4人)まで認められ、10世紀まで続いたと紹介がありました。(大正天皇から一夫一妻制に)
次は明日香の歌の紹介で、南淵山の雪:9‐1709・多武峰:9‐1704・八釣川:12‐2860(明日香逍遥)と、新年の歌では平城京に降った雪での宴会歌(新しき 年の初めに 豊の年 しるしとならし 雪の降れるは)なども勉強しました。最後に岡本先生・上さん・皆で「クリスマスとお正月」メドレーを歌い、楽しく終わりました。(トップページに動画があります

 ↓大原神社 フルフル雪 歌碑(揮毫 犬養先生)  








      
      多武峰 9-1704(揮毫 犬養先生)→              
                                      2019年宇陀かげろひイベント
                                      人麻呂が馬に乗って登場します

 

『 万葉集に親しむ』~春秋競燐歌~ 2021年11月19日

カレンダーの歌は、10月の「蓼(たで)」紹介と、11月は「かし」です。かしの歌は、河内の大橋を一人行く娘を詠った高橋蟲麻呂の長歌と反歌で、かしの実のどんぐり(実は一つしか入っていないので独身)の可愛い娘を思った疑似恋愛歌。高橋蟲麻呂を犬養孝先生は「孤憂の人」と呼ばれています。
「春秋競憐歌」は、天智天皇が鎌足に命じて春か秋が何方が良いかを尋ねた時に額田王が大和歌で答えたものです。秋が良いと額田王は答えます。万葉集は春夏秋冬を詠った歌の半分が秋です。
天智天皇の大津京についても、勉強しました。白村江の戦いに破れた激動の時代に、近江に下ります。その時に額田王の三輪山の長歌と反歌が、飛鳥を去る思いを詠っています。「ムベ」の蒲生野の不老長寿伝説は、「むべなるかな」=「もっともだ」と天智天皇がおっしゃったと伝わってします。
大津京は、後半は付け火もあり僅か5年4ケ月で終わった短命の都です。天智天皇の弟 大海人皇子の吉野入りは「寅に翼をつけて放てり」 といわれ、壬申の乱へと歴史は進んでいきます。
最後は、天智天皇が亡くなられた時前後の歌9首も学びました。
☆春秋競憐歌(春秋シャンソン)2017年11月17日に交野が原万葉学級主催コンサート(上さん歌唱)

『 万葉集に親しむ』~万葉集最長歌~ 2021年9月17日

カレンダーの歌は、つき(けやき)。けやきは槻の木で、中大兄皇子と中臣鎌足の出会いの木です。歌は高市黒人。旅の歌人といわれ18首:羈旅歌(きょりか)=旅に関する感懐を詠んだ和歌を詠っています。黒人は「遅れて来る人」(*佐々木信綱)と呼ばれています。
9月21日は中秋の名月:先生の歌「ムーンライトセレナーデ」の紹介もありました。
万葉集最長歌は、柿本人麻呂の高市皇子への挽歌で149句あります。(短歌は5句なので、約30倍)。朗々と高市皇子の生涯を高らかに謡い偲んだ長歌と反歌2首と檜隈女王(高市皇子の娘)の反歌1首。人麻呂の歌のは〈一に云う「 」)という草稿があるのが特徴との事。最後に高市皇子の万葉歌:十市皇女への挽歌を3首です。1首の歌は難訓歌で未だ読み方が判りません。3首目の山吹の万葉歌は、犬養万葉記念館に犬養孝先生揮毫の歌碑があります。
犬養万葉記念館 山吹の歌碑                  犬養万葉記念館 山吹








『 万葉集に親しむ』~遣新羅使人の旅②~ 2021年8月20日

カレンダーの歌は、白い花の「くくみら(ニラ)」を摘む労働歌で対話形式の素朴な東歌です。
今回も遣新羅使人で備後の長井の浦から始まりました。風速の浦の歌は、犬養先生の大好きなもので、万字焼きの行事が安芸津町で、毎年11月に行われています。「我が故に 妹嘆くらし 風早の 浦の沖辺に 霧たなびけり」
次は安芸の長門の島で「蝉」「ひぐらし」が詠われ、今の倉橋島で遣唐使船の復元もあります。ここでは、更に月の光を仰ぎ見て船出の歌や、亡き妻への挽歌、今までの航海の旅路を振り返り長歌と反歌で、望郷の思いを忘れ貝に託して詠っています。
蝉と晩蝉(ひぐらし)の万葉集十首(蝉1、ひぐらし9)も勉強しました。

 風早の万の字(昨年の医療従事者へのブルーライト)          富田さんのニラの白い花

『 万葉集に親しむ』~遣新羅使人の旅①~ 2021年7月16日

遣新羅使人は、飛鳥時代直前の6世紀から平安時代の9世紀まで46回続きました。万葉集には、その内の天平8年(奈良時代;聖武天皇)の第20回の1回のみの145首が載っています。平城京を4月24日(旧暦6月8日に出発し、瀬戸内海・九州・壱岐・対馬経由で新羅までの旅で、秋には帰国する予定でしたが、それは出来なかったようです。
今回は出発までの贈答歌・家を出る時の歌・出航から備中までの歌を学びました(巻15-3578~3601)。
先生の「生駒山を恋うる歌」では、出発準備中に生駒を越えて妻に会いにいく夫の心情が詠われ、別の歌では妻が夫の無事を祈る切々とした思いが伝わってきます。難波津から鞆の浦・神島までの歌では、鶴(たず)や、むろの木に託した万葉歌を学びました。
カレンダーの歌は、白い花が咲くむぎでした。LINEの連絡網を使った「白い花をみつけよう」プロジェクトに130枚もの写真が投稿されたと皆様へのお礼が岡本三千代先生からありました。下の画像はクリックするとダウンロードもできます。

『 万葉集に親しむ』~人麻呂の泣血哀慟歌を詠む~ 2021年4月16日

最初にカレンダーの歌「すみれ-たちつぼすみれ」です。
すみれの万葉歌は4首(短歌3・長歌1)で短歌3首を学びました。すみれの名は、墨入れの壺から由来しているとの事。「山吹の 咲きたる野辺の つぼすみれ この春の雨に 盛りなりけり」高田女王
4月なので桜の歌1首『散りな乱れそ』(高橋虫麻呂)で風の神である龍田大社に桜を散らさないで詠っている万葉の歌も紹介していただきました。龍田路越えの三郷の駅前に犬養先生のこの歌碑があります(*浪速に行く古代道は直越え(生駒越え)もあります。)
今月のテーマは柿本人麻呂です。人麻呂は歌の聖とも呼ばれていますが、亡くなった場所や生没年不明の万葉集の代表歌人です。
平安時代には人麻呂影供(えいぐ)と云う神としても信仰する儀式も始まり、江戸時代には朝廷から明石人丸神社と高津柿本神社(島根益田)に正一位が贈位された。(既に古今和歌集では正三位柿本人麻呂と記述)
人生まる、人丸や火止まるにも御利益があるとされ柿本人麻呂神社(柿本・人魔・人麻呂神社)は全国にあります。
人麻呂の泣血哀慟歌(亡妻挽歌)は長歌3首と反歌5首で構成されています。軽の妻と衾道の妻への哀歌です。
長歌では妻が亡くなった時の喪失感や妻との乳飲み子をあやすしかない人麻呂を切々とうたい、反歌では失った者の面影を求めて、その人の匂いのする所をさ迷い歩き、面影を追い求め嘆き泣く感情を詠ったドラマチックな歌です。(巻2-210~216)

山吹の歌(写真は、松尾大社)
「山吹の 花の盛りに かくのごと 
   君を見まくは 千年(ちとせ)にもがも」 
大伴家持 巻20-4304 天平勝宝6年3月25日
山吹には江戸城を作った太田道灌の素敵な歌もあります。
「七重八重 花は咲けども 山ぶきの 
    みのひとつだに なきぞ悲しき」
元歌は、後拾遺和歌集1154で面白い伝説が残されています。ココをクリック。

富田さんの持参の翁草
「芝付(しばつき)の御宇良崎(みうらさき)なる 
 ねつこ草 相見ずあれば 我(あ)れ恋ひめやも」
 巻14-3508 作者未詳   ねつこ草=翁草