新元号「令和」の万葉集

『令和』の序文がのっている万葉集です。
 今日4月1日は、犬養孝先生の誕生日です!
 その日に、万葉集から初めての元号が出典されました!感激です!
 尚、令月とは「1 何事をするにもよい月、めでたい月。2 陰暦2月の異称」です。
      「嘉辰(かしん)令月」(「嘉辰」はめでたい日。「令月」はめでたい月。)
◎万葉集巻五 歌815から歌852 
 万葉集の編者と言われている大伴家持の父である大伴旅人が山上憶良等と「筑紫歌壇」を形成した。
 その時の梅の花32首です。
 梅花謌卅二首并序(訓 梅花の歌三十二首、并せて序)

天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴會也。于時、初春月、氣淑風、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。加以、曙嶺移雲、松掛羅而傾盖、夕岫結霧、鳥封穀而迷林。庭舞新蝶、空歸故鴈。於是盖天坐地、促膝飛觴。忘言一室之裏、開衿煙霞之外。淡然自放、快然自足。若非翰苑、何以濾情。詩紀落梅之篇。古今夫何異矣。宜賦園梅聊成短詠。

訓 天平二年(730年)正(む)月十三日に、帥老(そちろう)の宅(いえ)に萃(あつ)まりて、宴会を申(の)ぶ。時に、初春の令月(れいげつ)にして、氣淑(よ)く風和(かぜやはら)ぐ。梅は鏡前(きょうぜん)の粉(ふん)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(かう)を薫(かを)らす。加以(しかのみにあらず)、曙の(あさけ)の嶺(みね)に雲移(うつ)り、松は羅(うすもの)を掛けて盖(きぬがさ)を傾(かたぶ)け、夕(ゆうへ)の岫(くき)に霧結び、鳥は穀(うすもの)に封(と)ぢれて林に迷(まと)ふ。庭には新蝶(しんてふ)舞ひ、空には故鴈(こがん)帰る。ここに天を盖(きぬがさ)とし地を坐(しきゐ)とし、膝を促(ちかづ)け觴(さかずき)を飛ばす。言(こと)を一室(いっしつ)の裏(うち)に忘れ、衿(ころものくび)を煙霞(えんか)の外(そと)に開く。淡然(たんぜん)と自ら放(ゆる)し、快然(くわいぜん)と自ら足りぬ。もし翰苑(かんゑん)にあらずは、何を以(もち)てか情(こころ)を壚(の)べむ。詩(し)に落梅(らくばい)の篇(へん)を紀(しる)す。古(いにし)へと今と夫(そ)れ何そ異(こと)ならむ。園梅(ゑんばい)を賦(ふ)して、聊(いささ)かに短詠(たんえい)を成すべし。


訳 天平二年正月十三日(730年2月8日)に、年老いた帥(旅人)の宅に集まって、宴会を開いた。時期は、初春のめでたい良い月夜で、空気は澄み渡っていて風は心地よく騒いでいる。梅は美女が鏡の前で白粉で装うように白い花を輝かせ、蘭の香りは匂い袋に香を薫ませたような匂いを漂わせている。それだけでなく、曙に染まる嶺に雲がたなびき、松はその枝に羅(うすもの)を覆い、またその枝葉を笠を指し重ねたように、夕べの洞穴のあたりには霧が立ち込め、鳥は薄霧に遮られて林の中で飛びまとっている。庭には生まれたばかりの蝶が春を告げるように舞ひ、空には越冬した故鴈が北に帰っていく。ここで、天を立派な衣笠とし庭を座敷とし、お互いの膝を近づけ盃を酌み交わす。言葉を失うくらい感動にひたり、心地よい気持ちをもったまま他人行儀の声を掛け合う言葉を部屋の片隅に忘れ、胸襟を開き、衿を大自然に向かってくつろげて広げる。淡々と心の趣くままに振る舞い、快くおのおのが満ち足りている。これを書き記すことが出来ないのなら、どのようにこの感動を表すことが出来るだろうか。願わくば落梅の詩篇を記してほしいものだ。感情を表すのに、昔と今と何で違うだろう。庭の梅を詠んで、大和歌を作ろうではないか。

➀(大貳紀卿 だいにきききょう:大宰府役人No.2 旅人の次に偉い役人)
5-815 武都紀多知 波流能吉多良婆 可久斯許曽 烏梅乎乎岐都々 多努之岐乎倍米
訓読 正月(むつき)立ち 春の来(きた)らば 如(かく)しこそ 梅を招(を)きつつ 楽しきを終(を)へめ
訳 正月の立春がやって来た、このように、梅を客として招き、楽しい宴の一日を過ごしましょうよ。

②(少貳小野大夫 せうにをのだいぶ;太宰府次官 別名 小野老:おののおゆ)
5-816 烏梅能波奈 伊麻佐家留期等 知利須義受 和我覇能曽能尓 阿利己世奴加毛
訓読 梅の花 今咲けるごと 散り過ぎず 我(わ)が家(へ)の園に ありこせぬかも
訳 梅の花よ 今咲いているように散りすぎずに 吾が家の庭に咲き続けてほしい。

③(少貳粟田大夫 しょうにあはただいぶ)
5-817 烏梅能波奈 佐吉多流僧能々 阿遠也疑波 可豆良尓須倍久 奈利尓家良受夜
訓読 梅の花 咲きたる園(その)の 青柳(あをやぎ)は 縵(かづら)にすべく なりにけらずや
訳 梅の花の咲く庭の青柳もまた、髪飾りに出来るように芽吹いているではないか。

④(筑前守山上大夫 ちくぜんのかみやまのうえだいぶ:山上憶良)
5-818 波流佐礼婆 麻豆佐久耶登能 烏梅能波奈 比等利美都々夜 波流比久良佐武
訓読 春されば まづ咲くやどの 梅の花 ひとり見つつや 春日(はるひ)暮らさむ
訳 春になると最初に咲く屋敷の梅の花よ、独りで眺めながら、ただ春の一日をお過ごしになられるのですか。
(旅人が奥様を大宰府で亡くし、一人で梅を見なければならない心境を察して読んでいる)

⑤(豊後守大伴大夫 とよのくにみちのしりのかみ おおともだいぶ:大伴三依)
5-819 余能奈可波 古飛斯宜志恵夜 加久之阿良婆 烏梅能波奈尓母 奈良麻之勿能怨
訓読 世間(よのなか)は 恋(こひ)繁(しげ)しゑや かくしあらば 梅の花にも ならましものを
訳 この世は男女の恋することが多いなあ。このようになるのから、いっそ、梅の花であったら良いのに。

⑥(筑後守葛井大夫 ちくぜんのかみふじゐだいぶ)
5-820 烏梅能波奈 伊麻佐可利奈理 意母布度知 加射之尓斯弖奈 伊麻佐可利奈理
訓読 梅の花 今盛りなり 思ふどち かざしにしてな 今盛りなり
訳 梅の花は今が盛りです。親しい友よ梅の花を頭にを飾って楽しみましょう。梅は今が盛りです。

⑦(笠沙弥 かさのみ 坊さん)
5-821 阿乎夜奈義 烏梅等能波奈乎 遠理可射之 能弥弖能々知波 知利奴得母與斯
訓読 青柳(あをやなぎ) 梅との花を 折りかざし 飲みての後(のち)は 散りぬともよし
訳 青柳と梅との枝や花枝を、手折って皆の前に飾って眺め、酒を飲んだ後は花が散ってしまっても良いのではないか。

⑧(主人 あろじ:大伴旅人)
5-822 和何則能尓 宇米能波奈知流 比佐可多能 阿米欲里由吉能 那何列久流加母
訓読 我(わ)が園(その)に 梅の花散る ひさかたの 天(あめ)より雪の 流れ来(く)るかも
訳 私の庭に梅の花が散っている。まるで広々とした天から雪のような花びらが、流れ来たのだろうか。

⑨(大監伴氏百代 だいけんばんじのももよ;大伴百代)
5-823 烏梅能波奈 知良久波伊豆久 志可須我尓 許能紀能夜麻尓 由企波布理都々
訓読 梅の花 散らくはいづく しかすがに この城(き)の山に 雪は降りつつ
訳 梅の花が散るのは何処でしょう。それにしても、この城の山に雪は降っているのと違いますか。
  *主人の歌を受けて歌っています。

⑩(小監阿氏奥島 せうけんあじのおきしま)
5-824 烏梅乃波奈 知良麻久怨之美 和我曽乃々 多氣乃波也之尓 于具比須奈久母
訓読 梅の花 散らまく惜(を)しみ 我(わ)が園(その)の 竹(たけ)の林に うぐいす鳴くも
訳 梅の花の散ることを惜しんで、散らないでおくれよと、私の庭の竹の林に鴬が鳴くことよ。

⑪(小監土氏百村 せうけんとじのももむら)
5-825 烏梅能波奈 佐岐多流曽能々 阿遠夜疑遠 加豆良尓志都々 阿素比久良佐奈
訓読 梅の花 咲きたる園(その)の 青柳(あをやぎ)を 縵(かづら)にしつつ 遊び暮らさな
訳 梅の花の咲く庭の青柳の若芽の枝を縵にして、一日を宴会で楽しく過ごしましょう。

⑫(大典史氏大原 だいてんしじのおおはら)
5-826 有知奈比久 波流能也奈宜等 和我夜度能 烏梅能波奈等遠 伊可尓可和可武
訓読 うちなびく 春の柳と 我がやどの 梅の花とを いかにか別(わ)かむ
訳 青々となびかせる春の柳と私の屋敷の梅の花の美しさとを、どのように違いを区別したらよいのでしょうか、私は分かりませんよ。

⑬(少典山氏若麻呂 せうてんじのわかまろ)
5-827 波流佐礼婆 許奴礼我久利弖 宇具比須曽 奈岐弖伊奴奈流 烏梅我志豆延尓
訓読 春されば 木末(こぬれ)隠(がく)りて うぐひすそ 鳴きて去(い)ぬなる 梅が下枝(しづゑ)に
訳 春になると木の梢の葉に姿も隠れてしまって、鴬は、鳴いて飛び去って行く。梅の枝さきの方に。

⑭(大判事丹氏麻呂 だいはんじたんじのまろ)
5-828 比等期等尓 乎理加射之都々 阿蘇倍等母 伊夜米豆良之岐 烏梅能波奈加母
訓読 人ごとに 折りかざしつつ 遊べども いやめづらしき 梅の花かも
訳 人それぞれが梅の花枝を手折って遊んでいます、なお、愛おしい梅の花であることよ。

⑮(藥師張氏福子 くすりしちやうじのふくし)
5-829 烏梅能波奈 佐企弖知理奈波 佐久良婆那 都伎弖佐久倍久 奈利尓弖阿良受也
訓読 梅の花 咲きて散りなば 桜花(さくらばな) 継ぎて咲くべく なりにてあらずや
訳 梅の花は咲いて散ってしまったら、桜の花が続いて咲くようになっているではないか

⑯(筑前介佐氏子首 ちくぜんのすけさじのこびと)
5-830 萬世尓 得之波岐布得母 烏梅能波奈 多由流己等奈久 佐吉和多留倍子
訓読 万代(よろづよ)に 年は来経(きふ)とも 梅の花 絶ゆることなく 咲き渡るるべし
訳 万代の後まで年は区切りを付けてやって来るとも、梅の花は絶えることなく咲きつづけるでしょう。

⑰(壹岐守板氏安麻呂:いきのかみはんじのやすまろ 板持安麻呂)
5-831 波流奈例婆 宇倍母佐枳多流 烏梅能波奈 岐美乎於母布得 用伊母祢奈久尓
訓読 春なれば うべも咲きたる 梅の花 君を思ふと 夜眠(よい)も寝(ね)なくに
訳 春になれば、こんなによく咲いた梅の花よ。あなたを思ふと夜も寝られないものを

⑱(神司荒氏稲布 かむづかさくゎうじのいなしき)
5-832 烏梅能波奈 乎利弖加射世留 母呂比得波 家布能阿比太波 多努斯久阿流倍斯
訓読 梅の花 折りてかさせる 諸人(もろひと)は 今日の間(あひだ)は 楽しくあるべし
訳 宴会で梅の花枝を手折りかざして指し示す人々は、今日の一日を楽しく暮らしているようだ。

⑲(大令史野氏宿奈麻呂 だいりやうしやじのすくなまろ)
5-833 得志能波尓 波流能伎多良婆 可久斯己曽 烏梅乎加射之弖 多努志久能麻米
訓読 年(とし)のはに 春の来(きた)らば かくしこそ 梅をかざして 楽しく飲まめ
訳 毎年の春がやって来たら、このように梅の花枝を宴に飾って楽しく酒を飲みましょう

⑳(小令史田氏肥人 せうりやうしでんじのこまひと)
5-834 烏梅能波奈 伊麻佐加利奈利 毛々等利能 己恵能古保志枳 波流岐多流良斯
訓読 梅の花 今盛りなり 百鳥(ももとり)の 声の恋(こい)しき 春来るらし
訳 梅の花は今が盛りです。沢山の鳥がやってきて、鳥の声の恋しい春がやって来たようです。

㉑(藥師高氏義通 くすりしかうじのよしみち)
5-835 波流佐良婆 阿波武等母比之 烏梅能波奈 家布能阿素比尓 阿比美都流可母
訓読 春さらば 逢はむと思(も)ひし 梅の花 今日(けふ)の遊びに 相見(あひみ)つるかも
訳 春がやって来たら出逢おうと思っていた梅の花のあなた。今日の宴でとうとう、あなたに逢うことが出来ました。

㉒(陰陽師礒氏法麻呂 おんやうじきじののりまろ)
5-836 烏梅能波奈 多乎利加射志弖 阿蘇倍等母 阿岐太良奴比波 家布尓志阿利家利
訓読 梅の花 手折(たを)りかざして 遊べども 飽(あ)き足(た)らぬ日は 今日(けふ)にしありけり
訳 梅の花枝を手折り広間に飾って宴会に臨んでも、なお、飽きることのない楽しい日は、今日なのだなあ(もっと続いて欲しい)。

㉓(笇師志氏大道 さんし しじのおほみち)
5-837 波流能努尓 奈久夜汗隅比須 奈都氣牟得 和何弊能曽能尓 汗米何波奈佐久
訓読 春の野に 鳴くやうぐひす なつけむと 我(わ)が家(へ)の園(その)に 梅が花咲く
訳 春の野に鳴くよ。その鴬を呼び寄せようと、私の家の庭に梅の花が咲くのだ

㉔(大隅目榎氏鉢麻呂 おおすみのさくゎん かじのはちまろ)
5-838 烏梅能波奈 知利麻我比多流 乎加肥尓波 宇具比須奈久母 波流加多麻氣弖
訓読 梅の花 散り紛(まが)ひたる 岡辺(おかび)には うぐひす鳴くも 春かたまけて
訳 梅の花の散り乱れる岡べには、鴬が鳴くことよ。春の気配がやってきました。

㉕(筑前目田氏真上 ちくぜんのさくゎん でんしのまかみ)
5-839 波流能努尓 紀理多知和多利 布流由岐得 比得能美流麻提 烏梅能波奈知流
訓読 春の野に 霧立ちわたり 降る雪と 人の見るまで 梅の花散る
訳 春の野を一面に霧が立ち渡り、雪が降っているかと人が見間違えるように 梅の花が散っているんだ。

㉖(壹岐目村氏彼方 いきのさくゎん そんじのをちかた)
5-840 波流楊那宜 可豆良尓乎利志 烏梅能波奈 多礼可有可倍志 佐加豆岐能倍尓
訓読 春柳(はるやなぎ) 縵(かづら)に折りし 梅の花 誰(たれ)か浮かべし 酒坏(さかづき)の上(へ)に
訳 春の柳の若芽の枝を鬘に手折り、梅の花を誰れが浮かべているんだろうか。乾杯する酒坏の上に。

㉗(對馬目高氏老 つしまのさくゎん かうじのおゆ)
5-841 于遇比須能 於登企久奈倍尓 烏梅能波奈 和企弊能曽能尓 佐伎弖知流美由
訓読 うぐひすの 音(おと)聞くなへに 梅の花 我家(わぎへ)の園に 咲きて散る見ゆ
訳 鴬の音を聞くにつれて、梅の花が我が家の庭に咲きて散っていくのを見るんだ。

㉘(薩摩目高氏海人 さつまのさくゎん かうじのあま)
5-842 和我夜度能 烏梅能之豆延尓 阿蘇比都々 宇具比須奈久毛 知良麻久乎之美
訓読 我(わ)がやどの 梅の下枝(しづえ)に 遊びつつ うぐひす鳴くも 散らまく惜しみ
訳 家の梅の下枝に遊びながら鴬が鳴いています。梅の花が散るのを惜しんでいるように。

㉙(土師氏御道 はにしうぢのみみち)
5-843 宇梅能波奈 乎理加射之都々 毛呂比登能 阿蘇夫遠美礼婆 弥夜古之叙毛布
訓読 梅の花 折りかざしつつ 諸人(もろひと)の 遊ぶを見れば 都しぞ思(も)ふ
訳 梅の花枝を手折り宴場に飾って、この宴会で人々が梅の花を見ながら楽しむのを見ると、都での宴の様子を思い出します。

㉚(小野氏国堅 をのうぢのくにかた)
5-844 伊母我陛邇 由岐可母不流登 弥流麻提尓 許々陀母麻我不 烏梅能波奈可毛
訓読 妹(いも)が家(へ)に 雪かも降ると 見るまでに ここだも粉(まが)ふ 梅の花かも
訳 私の愛しい貴女の家に雪が降るのかと見間違うように、一面に散り乱れる梅の花よ。

㉛(筑前掾門氏石足 ちくぜんのじよう もんじのいそたり)
5-845 宇具比須能 麻知迦弖尓勢斯 宇米我波奈 知良須阿利許曽 意母布故我多米
訓読 うぐひすの 待ちかてにせし 梅が花 散らずありこそ 思ふ児(こ)がため
訳 鴬がその花の咲くのを待ちかねていた梅の花よ。花を散らさずにあってほしい。私が恋いしているあの子のために。

㉜(小野氏淡理 をのうぢのたもり:小野田守)
5-846 可須美多都 那我岐波流卑乎 可謝勢例杼 伊野那都可子岐 烏梅能波那可毛
訓読 霞立つ 長き春日(はるひ)を かざせれど いやなつかしき 梅の花かも
訳 霞が立つ長き春の日に 梅の花枝を手折り、こうして飾っています。ますます親しみ深い梅の花よ。
#令和  #れいわ
*データは、岡本三千代先生の講義とニキタマの万葉集・竹取翁と万葉集のお勉強をベースに、管理人が編集しています。

若菜祭 記念講演『令和と万葉集』村田右冨美教授

・4月7日犬養万葉記念館「若菜祭」の 記念講演:関西大学 村田右富実教授。
令和の元になる文献は、万葉集の大伴旅人「梅花の宴」の序文(漢文)です。
大宰師として下向した大伴旅人が、梅花の宴を天平2年(730)に催しました。 32首の和歌の冒頭に、当時の役人登用試験勉強の必須アイテム「文選(もんぜん)」にある《帰田賦:後漢時代》をベースに、見事な梅花の宴を催す気概を表しています。 この序文と和歌32首が入った書簡を送られた都にいた吉田宣は、「旅人は、教養人だな」と感心しただろうと村田教授は、述べられました。
更に、《蘭亭叙:東晋時代》に書かれている梅花の宴を大宰府で実現させたとの事。
大伴旅人は、柔軟に異文化を受容し、自らの教養とした上で素晴らしい序文と大和歌を作りました。
又、江戸時代から現代まで万葉集を研究する学者の間では、漢籍の影響がある事は知られています。