2018年度

2018年4月20日 『万葉集』に親しむ 「妻争い」

今年は、犬養先生の誕生111年と没後20年になります。4月のカレンダーは「こけ」で11首あり、苔は万葉仮名では【蘿】と書かれています。妻争いの最初は大和三山で中大兄皇子の長歌と反歌(巻1-13.14.15)で男と女の三角関係の歌です。長歌の万葉仮名「雄男志等=おおしと」の解釈で、(男性2人が女性1人を争う)か(女性2人が男性1人を争う)との異なる解釈となります大和三山(香久山・畝傍山・耳成山)の争いは播磨風土記にも記載されて出雲の神様が印南に留まったと伝わっています。巻1-15の歌は「わたつみの 豊旗雲に 入日さし 今夜の月夜 さやけかりこそ」で、反歌らしくないが旧書に書かれていたので載せているとの注がついています。他の妻争いの歌は、想われた娘が悩みの末に自ら命を絶つ事で決着するという悲しい大和歌で桜児伝説・縵児(かずらこ)伝説の歌を学びました。縵児伝説には耳無しの池の歌もあり耳成山の麓に万葉歌碑が設置されています。他に葛飾の真間の手児名(てごな)伝説、葦屋(=芦屋)の菟原処女(うないおとめ)伝説(*)があります。*処女塚古墳は、近くに神戸酒心館が有りお出かけにも最適です。下の写真は、この4月に三輪大社に出かけた時に撮影した大和三山です(大美和の杜展望台)と2016年11月撮影耳成山の万葉歌碑です。

2018年6月15日 『万葉集』に親しむ 「あかねさす紫の花」

今月は季節の花『花言葉 紫陽花』でスタート。あぢさゐの歌は万葉集で2首有り花に寄せた万葉人の恋へのうつろいやすさが歌われています。万葉集に登場する天皇系図も勉強しました。21代の雄略天皇(456-79)からの歌から始まりますが、主は34代 舒明天皇(629-41)から47代 淳仁天皇(758-64)に渡る歌集です。
次は先月の近江万葉ウィークのおさらいです。柿本人麻呂の長歌で持統天皇にささげたもので持統天皇の父:天智天皇が都として造営した大津京の廃墟を詠ったもので、柿本人麻呂の最初の歌と言われています(近江万葉歌碑②)。反歌の近江万葉歌碑⑫高市黒人の同じく廃都を詠った近江万葉歌碑⑧
後半は『つれなき作りの歌』です。初めは額田王と大海人皇子(後の天武天皇)が蒲生野(かまふの)に於いての薬狩りの行事で端午の節句(今の歴では6月18日です)に歌われた二首で戯言の和歌とも言われています。近江万葉歌碑➀-1、2.紫草は、白い小さな花を咲かせ根は紫で薬用に用いれらます(紫草の説明URL)。次の二首は大津皇子と石川郎女の詩です。
「あしひきの 山のしづくに 妹待つと 我れ立ち濡れぬ 山のしづくに 万葉集巻2・107」(君をずっと待っていて、山のしずくにびしょ濡れになってしまって)と大津が歌うと、「我を待つと 君が濡れけむ あしひきの 山のしづくに ならましものを 万葉集巻2・108」(山の雫になって、あなたを濡らしたい)と石川郎女が答えるのです。(こんなに大津のことを思っているのに、何故石川郎女郎女が会いに行けなかったのか 編集人は疑問に思ってしまうのですが、皆様はどうお思いですか?)
『つれなき作りの歌』をクリックすると万葉うたがたり会のYouTubeが再生されます。近江万葉歌碑もクリックすると、近江万葉歌碑ウオークのページに行きます。

2018年7月20日『万葉集』に親しむ「憶良の子等を思う歌」

今日は、土用の丑です。万葉集にも夏痩せにはウナギが良いという歌が大伴家持にあります。「石磨(いしまろ)に われ物申す 夏痩に 良しといふ物そ 鰻(むなぎ)取り食(め)せ」、次の句は「痩(や)す痩すも 生けらばあらむを はたやはた 鰻(むなぎ)を漁(と)ると 川に流るな」(もっと元気になろうと思って、鰻を取りに行って、川に流されてはイケないよ)と戯れ歌で締めています。本当にユーモアがありますね!
カレンダーの歌は、めはじき(万葉では土針)です。母が娘に心からすばらしいと思わない人には行かなくて良いよと歌っています=この表現を衣(きぬ)に摺(す)らゆな:染まらなくて良いよ=と:素晴らしい表現ですね。『オクラホマ・ララバイ』は、憶良が子等を思った題詞と長歌・反歌のお話です。釈迦の子供(羅睺羅=らごら)に譬えの題詞が付けられています。憶良が九州の嘉摩(かま)三部作の一部で、老年に入った憶良が自分の人生を思い歌った歌です。憶良は帰化人であったといわれており55歳から役人になりました。「銀も 黄金も 玉も 何せむに 勝れる宝 子にしかめやも」
後半は『鶴なき渡る』です。仲が良い鳥なので万葉集では46首も歌われています。10月に行く和歌浦の聖武天皇の行幸の時に山部赤人の長歌と反歌2種に、鶴(たず)の有名な歌があります。「若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る」。10月現地で、この歌が書かれている犬養先生の玉津島神社の歌碑で岡本先生の語り部が楽しみです。

2018年8月17日『万葉集』に親しむ「万葉故地の西の果て?」

最初は、テーマソングの『サンバ・DE・ツバキ』です。この歌は持統天皇紀伊行幸の時、秋に歌われたもので元歌(川上の つらつら椿…)を思い浮かべ、春を思い歌われています。「巨勢山のつらつら椿 つらつらに 見つつ偲はな 巨勢の春野を」。カレンダーの歌は、おほゐぐさ(ふとい)で上野(かみつけ=群馬県)の柿本人麻呂の歌で、実用的な草花もイキイキした歌にしています(巻10-3417)。9月24日は中秋の名月に因んだ歌5首の紹介です。一番気に入ったのが天上のファンタジーの歌「天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ-柿本人麻呂」です。(月の船とは三日月の事でしょうか?。このような印象を写真に出来たらと思ってしまいます-編集人)。
今月のテーマ『荒雄物語』で、9月22日に五島列島三井楽で開催される万葉フォーラム(岡本先生と万葉うたがたりも出演されます)に因んで、遣唐使が旅立った三井楽の万葉歌のお話です。主人公の荒雄は奈良時代の漁師。筑前(ちくぜん)(福岡県)の人。神亀(じんき)年間(724-729)友である老人の宗形部津麻呂(むなかたべの-つまろ)にかわって,対馬に防人の食糧をはこぶ船のかじ取りをし,暴風雨にあい遭難死した。これを悲しんで山上憶良又は妻子らがよんだ言われる歌10首が「万葉集」巻16におさめられている。志賀白水郎(=海人)10首については、➀10首の配列順は?②憶良作?③左注は誰が作ったのか?④成立時期?について35本の論文があるという。

2018年11月16日『万葉集』に親しむ「有馬皇子」

まずはカレンダーの歌で、9月は「くそかずら=へくそがずら」・10月は「いちしの花=彼岸花」・11月は「つるばみ=くぬぎ」です。10月の歌は、ごますりの歌で忠実に宮使いしたいと詠う宴会で高宮王の歌です。宮使いも大変ですね!
今月の歌は『草枕の詩』で主人公は悲劇の皇子「有馬皇子」です。もう一人の悲劇の皇子は大津皇子です。
有馬皇子の命日は11月11日で19才で亡くなられています。お二人共に皇位継承の権力闘争の中で、陰謀に巻き込まれています。「家(いへ)にあれば 笥(け)に盛る飯(いひ)を 草枕 旅にしあれば 椎(しひ)の葉に盛る(万・巻2-142)」と「磐代(いはしろ)の 浜松が枝(え)を 引き結び 真幸(まさき)くあらば また還(かへ)り見む(万・巻2-141)」は、藤白の地で祈る有馬皇子の心情が切々と感じられます。中大兄皇子(後の天智天皇)が蘇我赤兄と仕掛けた罠に落ちた悲劇だったので、後世の天智天皇批判時代になると憶良等が追慕の情を挽歌にして詠っています。
*挽歌:死者をいたむ詩歌。中国では葬送の際,棺を載せた車を引 (挽) く者が歌った。『万葉集』では雑歌,相聞歌とともに三大部立の一つで,葬送だけでなく,広く人間の死に関する歌が収められています。
*三古湯(三古泉):、日本書記・風土記などに登場し、白浜温泉・道後温泉・有馬温泉で、特に有馬温泉は有馬皇子の父の孝徳天皇が愛用した温泉です。孝徳天皇は中大兄皇子と対立し、648年 中大兄皇子は天皇を難波に残して、皇極上皇や間人皇后(はしひとこうごう)を連れて飛鳥へ帰還します。失意の中で崩御されました。

2018年12月21日『万葉集』に親しむ「万葉かるたで遊ぶ」

今月は、『いや重け吉事』の歌の紹介でスタートしました。大伴家持の新年の歌です。巻20-4516は新年の雪を詠っているのですが、元旦に良いことが重なるように、心から祈念した詩で、大伴家が置かれている環境(藤原家が台頭している)が、この歌を詠ませたのです。
カレンダーの歌は、「やまたづ」で衣通王(そとおりひめ)の禁断の恋を詠った相聞歌で、同じ母の元の兄妹の恋で結果は悲劇に終わります。
今月は、仁徳天皇の妃(磐姫皇后)の歌 四首の勉強です。仁徳天皇は聖帝ですが、女性関係も大変派手でした。仁徳天皇への愛情が溢れる歌を歌うのですが、それ以上に磐姫は、大変嫉妬深い人でしたので、磐姫の不在中に天皇が浮気した事(八田皇女と)を知り、山城の筒城宮に入り迎えも断わり、そのまま山城で没してしまいます。結果、磐姫の墓は仁徳天皇の堺の墓から遠い奈良にあります。この磐姫を偲んで堺の仁徳天皇陵の側に平成7年犬養先生揮毫の万葉歌碑が建立され、その後に更に四首全ての歌碑が建立されました。
 君が行き 日け長くなりぬ 山たづね 迎へか行かむ 待ちにか待たむ(万2-85)
 かくばかり 恋ひつつあらずは 高山の 岩根しねしまきて 死なましものを(万2-86)
 ありつつも 君をば待たむ うちなびく 我あが黒髪に 霜の置くまでに(万2-87)
 秋の田の 穂の上へに霧らふ 朝霞 いつへの方に 我が恋やまむ(万2-88)
最後は、犬養先生の作られた万葉かるたを楽しみました。
【注】編集人記述:磐姫の話は、万葉集だけでなく古事記と日本書記にも記述があり、日本書記では磐姫が難波宮に戻らず八田皇女が立后するのですが、古事記では、その後に続く記述の反乱の記事から磐姫が戻ったと推定できるとの事です。下の写真は2018年8月に、仁徳天皇陵に行った時に撮影しました。         犬養先生揮毫万葉歌碑 磐姫 万葉歌碑 5基

2019年1月18日『万葉集』に親しむ 「新春」講書始め

スタートは、今年は新しい天皇陛下になられる節目の年なので、天皇と万葉集の勉強です。
神武天皇から今生天皇(平成)まで125代の天皇系図を振り返り、特に神武・景行・日本武尊・仁徳天皇・雄略・継体天皇の興味深いエピソードを教えて頂きました。
今年はイノシシ年なので、万葉集の猪の和歌3歌の紹介です。猪(しし)は、万葉仮名で、十六(4×4で{しし}16なので!万葉時代から九九は、広まっていました)で書かれていました。
カレンダーの歌は、榎(え)です。【吾が門の 榎の実もり食む 百千鳥 千鳥は来れど 君ぞ来まさぬ】沢山の鳥がやってくるのに、何故あなたは来ないの!と言う女心を歌っています。 
このカレンダーの写真は小懇田宮(推古天皇)で撮影されている事から、聖徳太子(推古天皇の長子)の挽歌(3-415)で、殯(もがり=日本の古代に行われていた葬儀儀礼)や推古天皇を中心とした歴史を教えて頂きました。
第2部でホームページの紹介をさせていただきました。教室終了後、初めて新年会を枚方かごの屋で開きました。全員の自己紹介や特技(万葉朗唱など)を披露し楽しい新年会でした。
(講義は、学級メンバー全員出席でした)

2019年3月15日『万葉集』に親しむ 「越路の春」

2ケ月ぶりの岡本先生の講義です。2月は先生のインフルエンザの為、休講となりました。2ケ月ぶりです。
カレンダーの2月の歌は「つまま」(タブノキ)の話で、この大伴家持の歌が歌碑として安政の時代に高岡に建立されています。大和歌を歌碑として建てる文化は江戸時代に始まっているとの事。3月は「このてがしわ」のように本心が解らない人にはならないようにと歌っている歌です。
大伴家持は、越前の国守であった天平勝宝二年の三月一日に越中秀吟中十二首、桃の節句(上巳節会)に三首と越路の春を、梅や李、かたかご、燕や雁など託して歌っています。
それでは梅と李の歌二首です、写真は枚方山田池公園で撮影しました。

春の苑 くれなゐにほふ 桃の花 した照る道に 出で立つをとめ
 巻19-4139 大伴家持
春苑 紅尓保布 桃花 下照道尓 出立*嬬 (*は女+感)
わが園の 李の花か 庭に落りし はだれのいまだ 残りたるかも
 巻19-4140 大伴家持
吾園之 李花可 庭尓落 波太礼能未 遣在可母